環境統合技術室

第11回環境建築フォーラム

手のひらから鳥瞰へ
身体感覚とイラストから見る環境統合

2025年3⽉28⽇ 17:00~19:30

座長:金子尚志 / ゲスト:イスナデザイン(野口理沙子+一瀬健人)

身体感覚から考える環境統合
(千葉工業大学・金子尚志)

金子
今回のテーマは、「手のひらから鳥瞰へ 身体感覚とイラストから見る環境統合」ということで、いろいろと悩んだのですが、モデュロールをベースにフライヤーを考えてみました。一番わかりやすい身体感覚を「身長」と捉えて調べたところ、右からミース、ライト、パール、コルビュジエ、それから藤井厚二。日本人で誰がいいかなと思ったのですが、藤井厚二を入れてみました。
まずは「身体スケールと比例」ということで、話題を提供させていただければと思います。身体スケールというと、皆さんがまず頭に浮かぶのが、ダ・ヴィンチのウィトルウィウス人体図ではないでしょうか。これを見て改めておもしろいと思うのは、円と正方形が描かれている、この両方が同時にあるということです。人間の理性・安定と、宇宙のようなものを内包しているという、そのように再認識できるわけです。
一方、コルビュジエのモデュロール。従来のメートル法とかフィート・インチというよりは、人間の身体を基準としたスケール感を作ろうということです。実際にこのモデュロールが頻繁に使われていたかというとそうでもなく、1つの考え方として提示されたのだと思っています。
それぞれを並べてみると、身長183センチの男性という点が共通していたり、人間中心の尺度だとか、いろいろと共通しているところがあるように思います。もちろん、コルビュジエがダ・ヴィンチのこの図を参照していないわけがないので、関連性があるのは自明のことかもしれませんが、こういったところから今日のテーマである身体感覚の発見につながっていくとよいと思っています。
そして、建築家のスケールという話に移っていきますが、これはモデュロールマンで身長は183センチです。調べてみたところ、ミースの身長が180センチなんですね。一方でコルビュジエは168センチということで、古い時代とはいえ西洋人からすると割と小柄だったと思います。
身体スケールと比例
そのような視点で代表的な建築を見ていくポイントとして、天井の高さを調べてみました。すると、ファンズワース邸は2786ミリ。ライトのロビー邸は低いところが2470ミリで高いところは2720ミリ。アールトの自邸が2700ミリ、コルビュジエの小さな家が2700ミリ。こうして見てみると、ル・コルビュジエの小さな家は意外と天井高が高いのですね。他を調べてみるとそれほど高いものはなくて、ユニテ・ダビタシオンは低いところが2260ミリと、割と小さいものもあったりします。藤井厚二の聴竹居は、サンルームのところが2495ミリです。かなり無理やりですが、ミースからずっと見ていくと、その天井の高さにスケール感というものが現れるのかなと思いました。こういったものを全部見ていくと、それぞれが考える身体スケール、自分が持っている物差し=身体感覚としての身長みたいなものと、作る建築というのは、ある程度関連するのだろうと思います。
建築家のスケール感1
建築家のスケール感2
それから、「手のひらから鳥瞰へ」ということで、建築家がスケッチをしている写真をインターネットで探してみました。スケッチをしている写真というのは我々が見てもワクワクします。そして、鳥瞰へ、俯瞰へということを考えた時に、ちょっと重ね合わせてみました。コルビュジエの都市計画とか、アールトに関してはフィンランドのセイナヨキでも大々的に実践された都市計画があります。ライトもたくさんの俯瞰を描いているわけです。ところが、ミースに関してはスケッチをしている写真がほとんどありません。では何を持っているかというと、ペンではなく葉巻を持っている。そして俯瞰の絵がないんですね。都市計画のようなことをたくさんやっているわけではないこともあって、やはりミースはGLから見上げる建築を考えていたのかな、とも思いました。
建築家のスケール感3
建築家のスケール感4
また、少し別の視点で「アート」について考えてみたいと思い、辞書で調べてみました。アートの語源は「アルス」と「テクネー」ということで、「アルス」というのは技術などを意味していて、人の手を施して装飾するという、例えば医療のようなものも技術と言われていたようです。つまり、我々が日常考えている建築はある意味アートでもありますし、後ほどイスナデザインさんからお話しいただくイラストもまさにアートなんだと思います。その出発点として、やはり「人の手」といったところにつながっていくのだと思いました。
一方で産業革命をきっかけにして発展した科学、これにはテクノロジーという部分もあるわけですが、これを対比して見ていくと、芸術というものは身体感覚であり、テクノロジーというのは脳が作る科学という、身体と脳の関係というような側面もあるのだろうと思っています。この対比関係はまた次につながっていきますので、頭の片隅に置いておいていただければと思います。
アートは身体感覚から
そしてまた、身体という意味では、「どのように感じるか」ということも重要で、その辺りのお話を少しだけしたいと思います。我々の体は多様な気候に適応していくということです。今日もだいぶ外気温が高くなってきましたね。それで、手に上着を持って歩く人がいれば、一方ではまだ厚着をしている人もいて、それぞれの身体感覚というのは個性があり、環境に対していろいろな適応の仕方があると思います。我々は、脳とか心臓とか、臓器をコントロールするために手や足を冷やす工夫をしたり、逆に冬は手を温かくするために手袋をしたり、首周りを温かくするためにマフラーをしたりするわけですが、これを建築に落とし込んでみると、結局は建築も同じようなことをしていて、外皮との熱交換をしながら内部を快適にするといったことをしているわけです。
そして人間の身体感覚、五感を脳で分析するというか、外部刺激を感知して、それを脳で判断してまた身体感覚に返すというようなことをしているわけです。いろいろと調べてみると、身体の感覚はサバンナ気候の環境が理想的に適応しているとも言われているので、日本ではいわゆる中間期が快適に感じられるのは、それに合致するのだと思います。我々が「幸せだ」と感じるのは、身体感覚だけではなく気持ちの状態とも関連しているわけで、快適さ、幸福感を備えた空間というのは非常に大事なんだろうと思います。
身体1
身体2
そしてここからは、最近私が気になっている「八識」についてお話をしたいと思います。これはもともと仏教の考え方です。五感や身体感覚は、私が設計する上で一番のポイントにしているところであり研究対象にもしているので、いろいろと調べてみたら八識という仏教の考え方があるということに行き着いたわけです。
この図は右側から反時計回りに見ていきますが、読み方が面白くて、普通は見ることを視覚と言いますが、これは「眼識(げんしき)」、そして聞くことを「耳識(にしき)」、臭覚は「鼻識(びしき)」、味覚は「舌識(ぜつしき)」、触覚は「身識(しんしき)」といいます。我々が建築を考えるとき、触覚というよりは身識と言った方がしっくりくるというようなこともあって、このあたりから身体感覚を考えられないかと思っていたところです。
この5つの識に加えて、6番目の識として「意識」がある。そして7番目「末那識(まなしき)」、8番目「阿頼耶識(あらやしき)」と続くのですが、これは意識の裏側にあるもの、さらにそれを超えたものといったところで、この辺は非常に仏教的だなと思います。ここで言いたいことは、いわゆる五感と呼ばれているものを、もう少し違う見方をしてもいいのではということと、その五感を統合したところに意識があるのだということ。このあたりはとても参考になるのではと思い紹介しました。
八織1
八織2
そして、身体、建築、自然といったところに話を移していきたいと思います。これは以前にも紹介しましたが、私の師匠である小玉祐一郎がよく使っていたダイアグラムの1つです。身体の中に脳があり、その外に建築、自然が広がっている、二重の入れ子になっているのだということをよく言っていました。そのような教えを元に、私は最近「受容する建築」というようなことを言っているのですが、いわゆるパッシブデザインをもう少し広げていって、パッシブアンドレスポンシブ、受容したものを身体感覚として行動に移したり、建築のデザインに表現したり、そのようなことを考えています。
先ほどは巨匠がスケッチをしている様子をお見せしましたが、1枚ぐらい自分でスケッチしたものも入れようということで、私もスケッチをしてみました。先ほどのダイヤグラムを、今日のテーマに基づいてもう少し解像度を上げられないかと考え、解像度を上げるためにスケッチをしてみました。
身体という斜線のところがあって、その周りにベールのように薄い身体感覚があるのかなと、そんなふうに思ったところです。その青い身体感覚が、脳に信号として行くわけですが、その間をつなぐものとして意識が存在しているのではないか。それが緑のところです。建築・都市・自然などから、さまざまな情報として、環境として、刺激として受け取るわけです。それを身体感覚、意識、脳といったもののやりとりの中から、創造として、行動として、移していくというようなこと。それが手のひらから俯瞰へという流れになるのではないかと思います。
脳と身体感覚、意識についてもう少し詳しく見てみると、脳というのは、共通化しようとか差異を見つけようとか、比例を考えようといった、いわゆるデジタルに近いものではないかなとも思います。一方で身体感覚というのは、変化を感じたり、不均質を探したり、滲みのよさをすくい出そうとしたり、感じようとしたりといったところ。それをつなぐものとして意識があって、感動であったり、気づきであったり、クオリア(経験的な質感)であったりというようなことなのかなと思います。こういったことを総合して考えたときに、今日のテーマである「手のひらから鳥瞰へ」といったところに到達できるのかなと思いました。
身体、建築、自然
身体、建築、自然 手のひらから鳥瞰へ
今日お話ししたことを実践例としてお見せできればと思い、いくつかスライドを用意しています。まず、私はスライドを作るとき、この色とフォントをルールにしていて、青は少しくすんだ青を使っています。赤は鮮やかな赤とくすんだ赤の中間ぐらいを使っていて、グレーも使っています。白は少しグレーの入った白、日塗工でいうと93番ぐらいのものを使っています。なかなか気づいていただけないのですが、背景に白を乗せるときの白は少しグレーが入った白を使うとか、一番上の見出しは真っ黒ですが、その次の見出しはグレーにするとか、これも視覚情報として、先ほどの眼識ですね。そういったところに届くといいなと思ってやっています。
実は、シミュレーションも、手のひらから俯瞰へ、そして脳と身体と意識の関係性を、まさに実践しているのではないかと思います。演算したり視覚化したり、それを造形に移したり、時には想像しながらやるわけですが、それはやはり体感があってこそではないかと思います。これは私の好きな本の1つで、オノ・ヨーコの『Grapefruit』という、いわゆる詩集みたいなものです。そのなかの1つに、「地球が回る音を聴きなさい」というものがあります。これを見た時にすごく衝撃を受けたのですが、地球が回る音なんて聴けるわけありませんよね。でも、私たちがそのような想像をする時、きっと地球というものを広く想像するのではないでしょうか。ですからこれは、聴覚情報を考えるといってもいいかもしれません。
それから、これは竹尺です。三角スケールに代わるものとして私がデザインしたのですが、もともとスケールで使われる尺度は決まっているだろうということで、1本目は1/50と1/30、もう1つは1/100と1/200。もうこれで足りるのではないかということで、こんなスケールを作りました。これには黒点が打ってあるので、尺モジュールで住宅を設計する人は尺の黒点だけ追いかけていけば大体設計ができてしまいます。また、各スケールに人型を入れてあるので、例えば1/50の図面を書いているときは常にこの女の子が立っている様子、上から見た姿といったスケール感を持ちながら図面を引いていくことができます。
ところで、今日少し早めに着いて応接室で待機していたところ、壁にコルビュジエの絵があって、これも今日のテーマに近いなと思って撮影をさせていただきました。まさに手、手のひらというものが、コルビュジエの絵画にも現れているのではないかと思います。
身体性=身体感覚と脳の横断・意識の実践
身体感覚から考える環境統合
少しまとまりのない話になりましたが、「身体感覚から考える環境統合」、「手のひらから鳥瞰へ」というこのタイトルだけ聞くと、どういうことだろうと皆さんは思ったかもしれませんが、手のひらが都市を作る、建築を作る、そういうところにつながっていくということ。一番大事なのは、それぞれが感じる身体感覚なんだということ。そんなことを少しでも感じていただけるといいと思います。
根本
ありがとうございます。今回のテーマの身体感覚は、人によって感じ方が違うので、いろいろな意見が出てきておもしろくなるだろうと思っていました。
金子
いろいろな感覚があって、ということですが、ZEBとZEmBにもつながるのかなと思いました。ZEBはいわゆる基準ですよね。誰かが作った基準をどうクリアするのか、といったゲームみたいなものと捉えることもできます。私がZEmBというものを環境統合の中で提案したのは、なんだかよくわからない、何が全部なのかわからないところがいいのでは、という思いもありました。その基準は何?みたいな。基準をクリアするということは、私たちが建築を作っていく目的ではなく、どこまで考えるのがよいのかという、実はそちらの方が大事だと思います。たまたまZEBとゼロエミッションビルディングっていうことを考えていたとき、その頭文字を取ってみると、ZEmBと読めるんじゃないかということに気づいて、そこから始まったのです。ただ、やはり大事なのは、基準をクリアするというよりは、どこまでその可能性を広げられるか、全部考えていこうという姿勢が大事なんだと思いました。
野口
金子先生のスケッチがすごくおもしろく、この後の話で「それぞれのリアル」というキーワードが出てくるのですが、イスナデザインでは、イラストであっても空間であっても、何らかのリアルな感覚に形を与えたいと思っています。そこで、私たちは知覚とか時間とか体験とか、いろいろなものを、まさしくこのリアルに込めているんですけど。それらは、脳におけるデジタルなものとか、身体感覚でいわゆる変化とか、何か不均質さみたいなものとか、あとそれらをつなぐ意識で、3つに分けられるというのがすごくおもしろくて。もう少しこの3つの差異について掘り下げてお話を聞きたいなと思いました。
金子
実はこれは、今回のお話をするためにどう説明したらいいのかということで考えたものなんです。ですから、すごく深くこれに関して定義できたという感じではないんです。ただ、大事なのは身体感覚というものが、それぞれのメカニズムとかシステムで考えていく必要があるだろうということです。何か感じたものは、そのままではアクションにならないですよね。我々は脳で考えて、それを信号として筋肉に伝えて、動き、まばたきとか、服を1枚脱ごうとかいうことをするわけです。これまでは、そこのやりとりだけかなと思っていたのですが、実はここの緑のところが大事で、身体感覚、感じたもの、先ほどのお話でいうとセンサーみたいなものがあって、それを処理するところがあって。人間はそれらをつなぐ意識があるから人間として存在しているんだろうと思うわけです。
一瀬
私たちがこの後話す内容にとても近くて、おもしろく聞かせていただきました。スケール感の話がとてもおもしろくて、パリとかへ行くとやはり日本の空間とは全然違うと実感するのですが、私がそれを一番感じたのはユニテなんです。ユニテは、ちょっとだけ小人になるみたいな感覚があります。屋上へ行った時、通常の手すりは1100ぐらいなんですが、ユニテはもっと高くてアイレベルちょっと下ぐらいなんです。そのぐらいのラインで見ると、街が全部消えて、そこから先の海しか見えないみたいな。どこまで意図しているかわからないですが、そういうおもしろさがあったと思い出しました。
金子
コルビュジエの建築というと、造形的なところばかりが取り上げられるのですが、私は環境的な視点からいろいろ読み解いています。すると、意外と環境のことを考えていたことがわかります。それと併せて、スケール感のことも考えていたと捉えることもできます。割とスケールが小さいですよね。大きなスケールというよりは、少しコンパクトという特徴があると思います。
野口
少しコンパクトな空間では、そこに入ると普段は全然気にせずに動いているのに、急に自分の手の長さとか身長が気になってくるみたいな。多分それが意識することだし、先ほどの「地球の回る音を聴きなさい」のように、そう言われて不意に地球って何だろう?みたいに、急に頭の中にそれが入ってくること。それが意識することなんだなと思いました。
金子
そうすると、聴こえてきそうな気がしませんか? あれ、これって地球が回る音なんじゃないかみたいな。そこが結構大事かなと思います。

金子 尚志 (千葉工業大学)

1967年
東京都生まれ
1992年
東洋大学工学部建築学科卒業
1992年〜2001年
西松建設株式会社関西支店設計課、本社建築設計部
2003年
神戸芸術工科大学大学院修士課程修了
2003年〜2006年
神戸芸術工科大学芸術工学研究所特別研究員
2006年〜2018年
エステック計画研究所
2016年〜2023年
滋賀県立大学環境科学部環境建築デザイン学科准教授
2018年〜
ESTEC and Partner
2024年〜
千葉工業大学建築学科教授